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次男の晴れの門出に際し、今夜は親子二人で祝杯をあげた。
晴れの門出の割には食事はいたって地味で、メインディッシュは筑前煮である。
どういうわけか、次男は幼いころから筑前煮が大好きで、誕生日、卒業式等といった特別な日の料理に
必ず筑前煮をリクエストする。

普段の夕食にも時々登場する筑前煮だが、今夜はいつもよりグレードの高いものにしたかった。
たとえば、こんにゃくは有機物にするとか、鶏肉は地鶏にするとか。
しかし、我が家の経済はお給料前で、思うに任せない。
ならば、うんと丁寧にお出汁をひこう。出勤前、水をはったお鍋につけた昆布は、我が家で一番の上等。
夕刻には、それを元に精いっぱいの一番だしをひこう。


「ん、うまいなぁ」
筑前煮をほおばった次男が笑う。
「身体に気をつけて、頑張りや」
「うんうん、頑張るわ」
ありきたりな会話が、やけに重い。
こういうとき、私の母もこんな思いをしたのかなと思う。

明日が次男の晴れの門出なら、私にとっても新しい門出。
カッコイイイおばさんを目指すのも、悪くないよね。






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【2010/03/31 22:46】 | エッセイ トラックバック(0) |
これだけブログをさぼってしまったら、どうにも収まりが悪くて「ブログ、やめよっかなぁ」とグズグズしていた。
グズグズしながらも、仕事が増えてヘロヘロになったり、すっかり雪の解けた庭で野生のキジと遭遇したり、ガソリンスタンドから出てきた車がぶつかってきたりとややこしい日々が続いていた。
おまけに、次男の大学寮への入寮が決まっては、お彼岸に入ってもずるずる続く寒さがいやというほど身にしみる。

幸田文さんの「春の声」というエッセイにこんな一節がある。
『台所で使う水の音、茶碗の音も、冬は冬のね、春は春のねをたてる。』(講談社文庫 季節のかたみ)
私は台所に立って何を聞いてきただろう。
長男が生まれて以来、ずっと背中で息子たちの様子を聞いてきたような気がする。

明後日は次男の引っ越し。
ちっともはかどっていないようで、どうするつもりかと気がもめる。
「明後日は棚卸やから、仕事を休まれへんよ」
引っ越しを手伝えないぞ、しっかりやりなさいよ!との意味を含めて言うが、
次男は「うん、大丈夫」とさらりと答えるから憎らしい。

私は今まで一人暮らしをしたことがない。
寂しくないと言えば嘘になるが、いずれ一人暮らしを始めなければならないのなら、
この年齢くらいから助走を始めるのも悪くないかもしれない。
中島らもさんは著書の中で『「教養」とはつまるところ「自分ひとりでも時間がつぶせる」ということだ。それは一朝一夕にできることではない』(双葉社 固いおとうふ)と述べられている。

ふ~ん、ならば、またぞろNHKラジオの英会話テキストを買おうかと思った今宵です。

【2010/03/30 22:57】 | 未分類 トラックバック(0) |
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