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「今晩のおかずは粕汁?それやったら、里芋を入れるといいわ、やみつきになる美味しさやで」と私に教えてくださった八百屋の女将さんが亡くなったのは、今年の一月だった。

彼女のお店は国産の野菜だけを売る八百屋さんで、お値段はちょっとお高めだったけれど、「うちは一切変なもんは置きません。せやけど、たとえジャガイモ一個でもお葱一本でも、喜んでお売りいたします」というお店だった。
彼女は気持ち良いくらい愛想がよく、決して押し売りはしなかった。
大阪にいた頃、女将さんとは、近所の小料理屋さんでよく一緒に飲んだ。
彼女はビール党で、ほろ酔いになると涙腺がゆるむのか、しきりに目を人差し指の背中でこすっていた。
泣き上戸ではない。それどころか、素面でも陽気な性格が一層陽気になって、周囲を沸かせていたくらいである。
しかし、先に酔っ払うのは大概が私の方で、這ってでも帰れる距離にあった家まで私を送ってくれた。
「送ってもらって、ごめんなさい」
「いいのいいの、あなたと飲むのは本当に楽しいからね」
酔っ払いの世話が楽しいわけないなのに、女将さんはいつもそう言って
笑っていた。

去年の9月、久しぶりに帰阪し、女将さんと馴染みの小料理屋さんで待ち合わせたのが、彼女と飲む「最後」になってしまった。
まるで同窓会やね、次はいつ帰る?
そう言ってくれたのに。

同じ年の暮れ、いつもの小料理屋さんで飲んでいた女将さんが
「孫が生まれたばかりで忙しかったせいか、ずっとビールが美味しくなかったけど、今日はほんまに美味しいわ」と言ったそうである。
その時、彼女はすでに膵臓ガンの末期だった。

「もう手の施しようがないって、お医者さんから聞いたわ。
抗がん剤も無駄やねんて。なんにもでけへんから、なにもせえへんねんて。
それでええ。
私は、ほんまに思い残すことはないねんよ。
みかちゃん、泣かんと聞いてや。
私な、お医者さんからモルヒネをうってもらってんねん。
そうせんと、痛とうてたまらんからな。
お父さん(ご主人のこと)に、私の言いたいこと全部言うてあるし、お父さんのことは、娘に全部頼んである。
だからな、みかちゃん、私はほんまに思い残すことなんかないねん。
ほんまやねん、だから泣かんといてな」

私たちの仲間「みかちゃん」がお見舞いに伺ったときに、女将さんが語った言葉である。

人は誰でも、その生を全うする権利がある。
しかし、治安大国日本の神話が崩れつつある今、その権利は理不尽にへし折られることが多くなった。
だからといって、人生の弟一歩を歩き出したばかりの子供が、なぜこうも毎日毎日死ななければならないのか。
いじめの卑劣さを、あらためて痛感する。
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【2006/11/14 00:16】 | 未分類 トラックバック(0) |
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