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今までの来し方を振り返ってみると、せめて何かひとつくらい、まともに楽器が弾けるようになっていたらと臍を噛む。
楽器はなんでもいいが、欲を言うなら、ピアノとかバイオリンはいかにも上品そうで憧れる。
クラリネットやフルートといった管楽器はヨーロッパの匂いがするようで魅力的だし、ハーモニカやオカリナの琴線に触れるような哀愁は捨てがたい。

たとえ第一人者になれなくても、楽器が弾けることで、今望んでいる潤いとはまったく別次元の潤いが生活に生まれるのではないか。
楽器だけに限らず、芸術全般にいえることだろうが、どれほど心豊かになれるだろう。

「あんた、三味線を覚えへんか?」
晩年、母が言った。
「ええ~?三味線?」
「昔な、あんたのお祖父ちゃんに言われて、私はちゃんとしたお師匠さんに習ろうたんや。おせえたる(教えてあげる)から。決して損にはなれへん。やってみぃひんか?」

しかし、三弦が醸す独特の色音は、手のかかる幼い息子たちの育児に奮闘していた私を魅了せず、母の提案を私は言下に却下した。
それから後、母から二度と同じ提案が出されることはなかった。

あの時、母に教えを蒙っていれば、たとえたどたどしい「チントンシャン」でも三味線が弾けたかもしれない。
春の朧月夜に、秋の虫の音に、感じ入っては三味線を弾いたかもしれない。

専用ケースの中で眠ったままの、祖母と母が愛用した撥は、この先誰を潤すのだろう。

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【2006/11/21 23:17】 | 未分類 トラックバック(0) |
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