上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「むかーし、あったずもな。むかーしな」
遠野の語り部館で聞いた、語り部のやさしく穏やかな口調の語りである。
語り部のお年のころは70歳くらい。お漬け物やおはぎを作らせたら、魔法のように美味しいのを作られるのではないか、重ねた指の節は立って、長年の農作業や台所仕事の勘がいっぱい詰まっているように見えた。
遠野は民話の里、長い間語り継がれてきた昔話を、語り部が土地の言葉で語ってくれる。
そこには河童や座敷わらしといった不思議な生き物が登場したり、きれいな娘さんと馬の悲恋があったり、いかにも昔話にはありそうなお話なのだが、遠野という町がそうさせるのか、なんとも不思議な趣がある。
山間の村の静かな夜、囲炉裏端で、お年寄りが幼い子供たちに語りかけたのだろう。
私は囲炉裏のある生活を一度も経験したことがないというのに、馴染みのない土地の言葉なのに、なぜか囲炉裏端で聞いている子供になって耳を傾けていた。

遠野盆地は深い山に囲まれている。
―夕まぐれは昼と夜の隙間、摩訶不思議な生き物が暗躍する、決して外には出るな、神隠しにあうぞ
電気もガスもなかった頃の闇は、どれほど深かっただろう。
―風の強い猛吹雪の夜、何十年も前に神隠しに遭ったサムトの婆が帰ってくる。家族に一目会いたいと帰ってくる

切ない話である。
子供たちに対する戒めでもあったのだろうが、子供たちは想像力を逞しくして、おっかなびっくり、昔話に聞き入ったことだろう。
余談になるが、その土地で語り継がれた話は、土地の言葉で語られるのがベストだと思う。
いつだったか、テレビで宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を岩手の言葉で朗読されているのを観たことがある。
それは今まで読み知っていた「雨ニモ負ケズ」とは、全く別物だった。

遠野の語り部館で聞いた話は二つ。
「遠方から来たのだから」とわずか4人のお客に、語り部はゆったりと情感豊かに語ってくださった。
ありがとうございました。遠野に来てよかった。
外に出ると、9月末とは思えない肌寒さだったが、胸のうちは裏腹にほんのり暖かかった。
どんどはれ。






スポンサーサイト

【2008/09/30 22:12】 | 未分類 トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。