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ふと目が覚めて時計をみると、まだ5時半をすぎたばかりで窓の外はまだ薄暗い。
目覚まし時計が鳴るまでの1時間を損したような気分でトイレに立ったが、あまりの寒さにもう一度暖かい布団にもぐり込んだ。
うつらうつらしかけたとき、マンションの廊下を慌てて走る人の足音が聞こえてきた。
何事?と思った次の瞬間、台所からガチャンガチャンと食器の割れる音がした。
天井を見ると、ペンダントライトがちぎれんばかりに大きく揺れている。
地震や!!
隣の布団でまだ寝息を立てている息子たちを両脇に抱え、「地震や!起きなさい!!!」と大声で叫んだ。
揺れが収まるまで、ほんの15秒だったらしいが、私には何分にも感じられた。
母の様子を見に部屋へ行くと、母はベッドの柵をしっかりつかみ震える声で
「ああ、怖かった。船に乗ってるみたいや」と言った。
台所に行ってみると、地震の揺れで食器棚の観音開きの扉が開いたのだろう、飛び出した食器が見るも無残に床で粉々に砕けている。
ペンダントライトはちぎれて飛び、壁に大きな穴を開けていた。
仏間では仏壇が倒れ、ここの照明もやはりちぎれ飛んで砕けていた。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるが、心臓がバクバクし、足は小刻みに震えて止まらない。

午後になって、信じられない光景が報道された。
私にとって、神戸はお洒落な憧れの街。
その神戸がぺしゃんこになり、いくつもの不気味な黒い煙をあげていたのである。
横倒しになった阪神高速道路、ぽきんと折れたビル、呆然と立ちすくむ被災者等々、CMは2日間放送を自粛したと記憶している。

庶民レベルでも被災地への救援物資を集める運動が起こり、私も買い置きのインスタント食品や缶詰を提供したが、何より不足しているのは水と知って買いに走ったが、どこのスーパーでも売り切れていた。
そういった助け合いがあった一方、震災の神戸を見世物にするツアーを行った輩がいて大いに顰蹙を買った。

あの日から15年。
15年も経ったのかというのが実感である。
テレビで追悼式典の様子を観た。
被災者の方が言われていたことに
「(地震で)亡くなった人の分まで、一生懸命に生きないと」

被災地の方々のご健康とご長寿をお祈り申し上げつつ、亡くなった方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



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【2010/01/17 21:48】 | エッセイ トラックバック(0) |
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