上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今宵、大阪新世界の人情話を一つ。
母が駆け出しの漫才師だった頃、一番お世話になっていたのは大阪新世界の新花月という劇場だった。
母たちは女三人が舞台に並ぶというだけが取り得で、下手な漫才だったから、客席からは容赦ない野次と怒号が飛ぶ。
ぐっと涙をこらえ、♪花のステージ、ライトを浴びて~♪と歌って舞台を下りるのがやっとだったというから、新花月は新人を鍛える格好の場所であったのだろう。

そんな苦行時代から、ずっと母を応援してくださったお客さんがいる。
その方は、いつも赤いシャツを着ていらしたことから、ついたあだ名が「赤シャツ」。
漱石の坊ちゃんにも登場する高邁なあだ名ではないかと思いきや、母が言うに
「いや、あんまり洗濯してなかったんとちゃうか?きれいなシャツやなかったで」
新花月の客席は狭く、常にお酒と汗とお手洗いの匂いが充満していて、当時の新世界という場所柄、お客さんの殆どが日雇い労働の人だった。
彼も多分、そんな一人だったろうと思われる。

場数を踏んできた母たちが、ちょっとはまともに漫才ができるようになっても、赤シャツは変わらず客席に足を運んでくれた。
やがて母たちは道頓堀角座だ、神戸松竹座だ、余興だのと忙しくなった。
それでも、たまに新花月の舞台が入る。
新花月のトリを取るようになった母たちを、赤シャツは満足そうに頷きながら観ていらしたという。

それから5.6年後、母たちの漫才トリオは諸般の事情で解散し、母は一人になった。
紆余曲折の末、浪曲の三味線を弾いていた母は、ある日、昔懐かしい新花月で曲師を務めることになった。
かつて主役として踏んだ本舞台を屏風の裏で眺めるのは、負けず嫌いの母には辛いことであったろう。
「これも仕事」と割り切って、母が三味線を懸命に弾いていると、屏風の端で人影がちらちらする。
「何や、気になるな」と目を移せば、赤シャツが懸命に手を振っていた。
懐かしそうに嬉しそうに笑いながら、「よう帰ってきたな」と言わんばかりに
浪曲はそっちのけで、屏風の裏にいる曲師に手を振り続けていた。

「芸人冥利に尽きる」と母は言っていた。
次回の帰阪の折には、母が大好きだった新世界に必ず行こう。
スポンサーサイト

【2006/10/28 02:37】 | 未分類 トラックバック(0) |


sanatch
とても良いお話ですね。
そこまで応援されることも、応援することもすごい事だと思います。
感動してしまいました。


senju
sanatchさん、こんばんは。
過分のお言葉、恐縮です。
ときどき、母の話を書こうかなと思っています。
楽屋の裏話とか・・いかんせん、文章力がともなわず、書ききれるかどうか心配ですが。


コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
とても良いお話ですね。
そこまで応援されることも、応援することもすごい事だと思います。
感動してしまいました。
2006/10/29(Sun) 23:41 | URL  | sanatch #-[ 編集]
sanatchさん、こんばんは。
過分のお言葉、恐縮です。
ときどき、母の話を書こうかなと思っています。
楽屋の裏話とか・・いかんせん、文章力がともなわず、書ききれるかどうか心配ですが。
2006/10/31(Tue) 18:24 | URL  | senju #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。